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司法書士関大会の歩み

司法書士関大会創設のきっかけとなったのは、関大の卒業生が当時、司法書士の社会的地位の低さに反発、これを打ち破るべく結集したことから始まる。

関大の卒業生が出した結論は、関大の卒業生から大阪司法書士会の会長を輩出し、司法書士の改革、発展に寄与しようということになった。そこで、「高橋孟先輩に会長に立候補してもらおう」と、関大の卒業生の意見が一致し、副会長に関大卒の安喜正男氏、福田隆二郎氏を推すことになったのである。

それには、司法書士の関大卒業生が結集しなければ、選挙に勝てないという結論に達し、まず第1に、司法書士の「地位の向上」「旧体制の打破」、第2に会長をはじめとする役員の選出という目標を達成するため、関大卒の計理士(税理士)出身の司法書士を含め関大卒業生が終結し、『大阪司法書士関大会』が創立された。

先頭に立った高橋孟氏は、初代会長になる予定であったが、大阪司法書士会の会長に推薦する関係から、初代会長は天王寺支部の安喜正男氏(ご子息が関大経済学部教授)に引き受けていただいた。

これにより、大阪司法書士会においては、高橋孟氏が、猛烈な選挙戦のうえ小差で会長になり、この選挙で『大阪司法書士関大会』の名前が有名になった。

当時、東の高橋孟氏を筆頭に、福田隆二郎氏、天王寺の安喜正男氏、池田の細井茂夫氏、枚方の大中清一郎氏、大先輩の納谷健太郎氏の方々が『大阪司法書士関大会』の創立に尽力した。また、当時の若手として、行方正行氏、樋口徹雄氏、柳原一善氏、高杉昭規氏、高瀬徳七氏、竹田操司氏、河村政彦氏、岩見壽子氏、植田喜一氏、高橋一夫氏、池内次郎氏、秋山道保氏、上野義治氏が尽力し、計理士より司法書士に認可され協力していただいた坂本氏、坂東氏、平野氏、神吉氏等の方々がいた。

まだ他に沢山の方々の協力があって、現在の『司法書士関大会』ができたことを忘れてはいけない。一重に司法書士を愛し、関西大学を愛した会員皆様の歴史の結集が司法書士関大会の原点である。

このように、昭和35年の大阪司法書士会の役員選挙において、関西大学出身の司法書士が集まったのが、現在の「司法書士関大会」の発端である。

初代会長に安喜正雄氏が就任した同年12月28日に北の料亭「小よし」において、第1回総会が開かれてから59年の歴史がある。2代目会長に竹田操司氏、3代目会長高橋一夫氏、4代目会長行方正行氏、5代目会長塩田貴美代氏、6代目会長中村博氏、そして現在7代目会長中谷豊重氏に引き継がれている。


(文献は、平成13年10月25日司法書士関大会会報の創刊号及び平成22年10月10日会報第10号高橋一夫相談役の原稿の資料に基づき作成)

令和5年2月